特定の記者ブログ集団の巡回は欠かせない
二十歳の頃だったか、今より少々生意気だった私は、ものを語る際に主語を抜いて語ることで多少は偉そうに見えるのではと勘違いしていた節があった。気持ち良く理想論を語ることができるのは何者にもかえがたかった。実際のところは単純に当事者意識からの視点が欠落していただけでして。いやお恥ずかしい。「で、お前はどうなん?」と聞かれると、それには答えず別の質問をし返して話をすり変えるなどというこすっからしい行為に励んでいたDTの私。色々と突っ込まれたりして思うところあり、暫くして私は、と一人称単数注で語ることにして今に至るわけだが。
そんことを頭に思い出しつつ巡回。相も変わらずだんどうさんのお言葉は香ばしい脳、でも放置、と思っていたらR30さんが痛快にパロってらっしゃる。禿ワラで和んでさらに巡回していたら別のところにも相変わらずのお方が。
炎上済み記者ブログの一つ、署名で書く記者の「ニュース日記」:「公共性」で、小池さんは放送の公共性に絡めてこう綴る。
放送だけでなく、新聞も公共性を持っているし、通信社も同じだ。共同通信は社団法人だから株主総会がなく、記事のチェック機能がないという指摘があったが、社団法人でも、社内にチェック機構はある。さらに、加盟社ひいては読者に常時チェックを受けていて、時には厳しい指摘もある。チェック機構があっても形骸化して機能していないのならば意味ないじゃん、つかそれこそ問題でしょ、と思うのは私だけか。厳しい指摘があってもその場しのぎでスルーだったら、何も変わらない。貴ブログもどれだけスルーしてきましたか。しかしそこは小池さん、そういう声には耳を貸さないことこそ共同通信クオリティ。続けてこう書かれる。
そもそも営利を追求する株式会社でなく社団法人なのは、業務の公益性=公共性が認められているという意味だ。それがどれだけ内実化されているかが問われているのだが…。だがで止めなさんな。凄い勢いで脱毛、いや脱力してしまう。そこに続くはずである、あなた自信はどう考え、どうしたいのかを聞かせてもらいたい、そう私は思うのだが…。
でもTBは打たんべ。
注:ちなみに一人称複数形もあまり好みにあらず。私と、あと誰がいるの? 但し論文は別。複数形しかあり得ないんだもの。いつかはシングルで。
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