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小倉先生、人様のブログに出張し足をすくわれる

 小倉先生はもう少し落ち着いてレスを書かれた方が良いような気がします。テキストエディタ等で草稿を書いてから、数回見直した後、投稿されることを私は推奨する次第です。そう思った今日。

 私が米国においてはレフティな存在であることを示したPolitical Compassを紹介して下さった草加さんの当該エントリのコメント欄に小倉先生が出張された。そしてJSFさんに窘められる。コメント書く暇があるんだったらとっとと自分のブログで*思想集団*について釈明しろと(2005年02月24日 00:33)。そして長文の反論が始まる。

[821]・小倉秀夫・2005年02月24日 10:54
 私は、「J2」さんはわざわざ氏名及び所属を名乗ってDMを下さったので、そのことを意気に感じて、「J2」さんのエントリーに対しては丁寧に反論させて頂くつもりでおりますが(ただし、それほどの時間が作れないでいます。)、それ以外の方々については、「大量にコメントがついたら反論する気がなくなる」ということを前もって宣言していますので、それにもかかわらず、大量に付けられているコメントに対して一々お答えすることは考えておりません。>JSF様
 だいたい誤読であることを指摘しても誤読に基づいた批判を繰り返している(つまり、事実を捏造した上で他人を批判する)人々のお相手を、彼らが飽きるまでするのは、時間の浪費としか言いようがないわけで、なんでしかるべき対価ももらわずにそのような方々のお相手をして上げなければいけないのか大いに疑問です。
 消耗戦に持ち込むことによって相手に音を上げさせて「勝利宣言」をしたいのであれば「コメントスクラム」というのは合理的な戦法かも知れませんが、自分とは異なる考え方の人と議論をすることによって相互に理解を深めることを目的とするのであれば、
・ 論争相手が回答しやすいように配慮する
・ 相手の言っていることを正しく理解する

の2点は、必ず守らなければいけないはずです。
人様のブログのコメント欄に長いコメントを掲載してしまい、申し訳ございません>草加様)
 これに対し、JSFさんが主要な分(先生の文で強調部分)について答えてくれとリクエスト(2005年02月24日 22:08)。が、返答はこちらであった。
・ [827]・小倉秀夫・2005年02月25日 02:30
で、いくつかについて回答しても、「答えやすいものに対してのみ答えた」と非難してくることが予想されますね。
すると、結局、すべてのコメントに回答しないとならなくなります。
そうやって、消耗戦に持ち込むことにより、「暇の総和が大きい方が必ず勝利宣言できる」ルールに持ち込まれてしまうと、「普通の市井の人々」は、「暇の総和が大きい人々」のお気に召さない発言ができなくなってしまいます。
なお、私のような実名系は現実社会でフィードバックを受けることができるわけですが、基本的には、私の評価は低下せず、匿名集団に執拗に絡まれていることについて同情されているというのが実情です。
他人に罵声を浴びせる匿名の集団に対して、現実社会にいる「普通の市井の人々」の目は冷たいのです。
 これに対し、JSFさんがだからとっとと自分のブログで議論して下さい、と再コメント(2005年02月25日 19:21)。加えて、強調部についても反論。するとさらに長文のコメントによる反論が。おーい、少し前の謝罪はいずこへ。
・[832]・小倉秀夫・2005年02月25日 22:15
コメントスクラム参加者が「普通の市井の人々」であるかどうかということは、誰にもわからないことです。コメントスクラム参加者ですら──彼らが言うとおり横の連携なしに行っているのだとすれば──自分のこと以外はわからないはずです。ですから、コメントスクラム参加者を十把一絡げに「普通の市井の人々」であると評価してしまうのは、それはそれで「事実をもとに語る」人の取るべき態度ではありません。
また、
「弁護士、貴方は「誤読されて~」と言いますが、貴方のブログには万単位の人間が閲覧し、数百人の人間が書き込んでいます。(延べ人数ではなくユニーク数)これらの人全てが“誤読”する事なんて、有り得ると思いますか?」とのことですが、ブログを管理している本人ですら、コメントを付けてきた人のユニーク数を把握することができないのに、JSF氏がなぜこのような断定をできるのか不思議です。
 なお、万単位の人が閲覧し、数百人程度の人間が誤読する程度の事態ならば、世の中ではよくある話ですし、書き手の責任ではないですね。特に、誤読であることを指摘された後も同じ誤読を繰り返し公衆の目に触れるところに公開する方がいる場合にはなおさらです。
 私の書いたエントリー自体を普通の文章読解力を持った人が予断と偏見を排除して読めば、コメントスクラムを行う思想集団を全てネット右翼であると断定したこともなければ、私のブログに押し寄せてきたコメントスクラムをネット右翼による組織的な行動だと言ったこともなければ、ネット右翼とリアルの右翼を同一視したこともない(むしろ、ネット右翼はネットをやる右翼とは違うのではないかということを言っているくらいです)ことは容易に分かるかと思います。さらにいうと、普通に検索エンジンを使う能力のある人であれば「ネット右翼」が私による造語でないことも簡単にわかるはずです。
 「いや、そんなことはない」というのであれば、私がそのようなことを言った部分を摘示して下さいね。そんなに古くからやっているブログではないので、全てのエントリーを精査したって大した手間ではないはずです。
 その程度のこともせずに、誤読を改めないまま私に対する非難を続けている人は、単に私を非難したいから非難しているだけであって、どんなに誠実に対処しても無駄だろうと私は思っていますし、無駄なことに時間を費やすよりそのとき関心のあることをやっていこうと私は考えています。
なお、「残念ながら貴方の評価は貴方が決めるのではなく、ギャラリーが決めるものです。」とのことですが、私は実名を明示してブログを開設しているおかげで、信頼を置ける人間から私のネット上での言動に対する評価を聞くことができます。
JSFさんこそ、自分たちの言動が「普通の市井の人々」の目にどう映るか、現実社会で交流のある人々に意見を聞いてみた方がよいのではないでしょうか。ネット社会では、「普通の市井の人々」の感覚からはずれた人々が数百人単位で集まることはそれほど珍しいことではないので、自分の言動が「普通の市井の人々」の感覚からずれていないかをチェックするためには、現実社会で交流する「普通の市井の人々」からフィードバックするのがよりよいと言うことができます。
 先生、激長でっす。さておき、ヒートアップして書いたと想像してしまうこの文章を載せた結果、JSFさんにダブスタを指摘される(こちらを参照)。さらに上記コメントに関し、kagamiさんとピカソさんから質問が飛んでくる。
・[835]・kagami・2005年02月26日 06:24
横からで申し訳ないのですが…。小倉先生の文章はおかしくないでしょうか?
>万単位の人が閲覧し、数百人程度の人間が誤読する程度の事態ならば、
>世の中ではよくある話ですし、書き手の責任ではないですね。特に、誤読であることを
>指摘された後も同じ誤読を繰り返し公衆の目に触れるところに公開する方がいる場合にはなおさらです。
と、小倉先生は書かれていますが、借りに数万人の内数百人の人が小倉先生が定義なさる
ところの”誤読”をしたとして、そのうち実際にコメントするのは、数人になるのではないかと思います。
数万のユニークアクセスで、数百のコメントがあるということは、だいたい百人に一人が
書きこんでいるということですよね。そうすると、誤読が数百人であれば、コメントはせいぜいが
数件になる筈であると考えられます。小倉先生が定義するところの”誤読”した人物が
コメント欄に書く確率が誤読しなかった人物より高いとは判断できないので、普通に考えるなら、
数万人(サイトを訪れた人のほとんど)が小倉先生が言うところの”誤読”をされたと考えたほうが
道理があうのではないでしょうか?
もし小倉先生が、”誤読する人”は、誤読しない人に比べ、書きこみする確率が極度に
高いというのならば、それを立証する証拠を示すべきだと思いますよ。
・[837]・ピカソ・2005年02月26日 10:36
小倉先生
 小倉先生は、ご自分に対する非難者については言及しておられますが、では、非難されてない多くの方達に対してはどのようにお思いですか。それとも、コメント欄に書かれたものは、すべて非難に見受けられますか。
 で、kagamiさんへのみお返事。それはそれとして、このような内容。
・[840]・小倉秀夫・2005年02月26日 13:04
kagami様へ
 他人のBLOGのコメント欄に投稿するという積極的な行動を行うのはそれなりに時間その他の資源を投入することになりますから、その思想構成は、標準的な思想構成とずれが生ずる可能性が高いことは広く知られています。それは、ネットでのアンケートやテレゴング式のアンケートの結果が、無作為抽選型のアンケートの結果とずれが生ずるのと同じようなものです。
 そして、コメント欄にコメントを投稿しようという動機は、当該エントリーに対してネガティブな感情を抱いている方の方が強く持っていることが多く、また、問題となる記述が存在しないエントリーにおいては、これを正しく読解した人より、誤読した人の方が、ネガティブな感情を抱く傾向を有することになります。したがって、コメント欄投稿者における誤読者の割合が、読者全体における誤読者の割合よりも著しく高いという現象が生ずることは、十分理論的な説明がつく範囲内にあります。
 なお、確かに他者にご迷惑をおかけするのは私の本意ではないので、草加様にならい、隔離掲示板を設けました。
 よろしかったらこちらへどうぞ。
http://www.kodama.com/bbs/topfront_annex/
 これが現在までの経過である。


 私がそうだから思うのだが、人様のブログへのコメントは自ブログよりも押さえ気味な文章になる傾向がある。反論ならもちろんのこと、例え賛意をしめす文章であっても。

 さて、自ブログに比べて押さえ気味に書かれたと推察される小倉先生のコメントを印象批評してみると、いくつか、感じるところがある。一つは嫌味を混ぜた物言い、一つは匿名をけなし実名を尊重、そしてもう一つは論理の飛躍。嫌味な物言いと匿名/実名についてはスルーとして、論理の飛躍は見逃したくない。例えば[840]のコメントでも、最初のパラグラフである「他人の〜」は私も妥当だと考える。しかしながら、「そして、」より始まるパラグラフは前のパラグラフの続きにしては根拠が薄い。つーか小倉先生、

したがって、コメント欄投稿者における誤読者の割合が、読者全体における誤読者の割合よりも著しく高いという現象が生ずることは、十分理論的な説明がつく範囲内にあります。
 こちらを私めにも分かるよう、詳しく説明して頂きたくお願いするものであります。勿論理論的に。


 レトリックとして使われているのは想像できるのだが、どうもご本人の意図どおり機能していないような希ガス。だって使う側がヒートアップしているようなんですもの。某匿名巨大掲示板風に言えば、

必 死 だ な

 といった風でしょうか。私がエルメスだったら、「落ち着いて!」と言うところだが。

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