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私のレフト*嫌いについて

 実は頭ごなしに嫌っているわけではないので、誤解を減らす意味でも少し詳しく語っておこうか。

 厳密に言えば、ある種の理念を楯に言行を正当化する連中に対して違和感を覚えると言うことだ。そうした連中の頻度が理念だけ立派なフラワー系レフト*集団に特に高確率で存在しているため、少々の煽りスパイスとしてそう表明している。実際問題、各個の言行はそれ自身で理念とは独立に評価されるべきであると私は考えているわけだが。

 従って、大本営発表をするような輩は左右といった立ち位置*を問わず気に入らない。なぜそこで嘘をついて誇張を行う。レフト*の方が唱えがちである平和とか自由とか、ライト*の方が唱えられる伝統や常識といった言葉のように、それ自身が正しいといった印象を与えた上、対立する概念の存在しにくいものを掲げられるとまず懐疑心がわき起こる。そもそもその理念が包合する長所と短所について考えたのかと。その上で、しっかり言行をヲチしてやるぞと目にする度私は心に誓う。長い目で見るとあまり外れないのが悲しい。

 もともと、「大事の前の小事」という言い回しがあるように、大事の成就の為には、小事の行動の善悪は問われない風潮が存在している。心情的には理解できるし、私も振り返ればそれは多数。小さな例で言えば、急いでいるときの赤信号の無視とか、会社での文房具の私的流用とか。

 自らを棚上げし敢えていうが、それが組織において行われた場合、小事がどんどんと拡大していく傾向が見受けられる。徐々に拡張され、拡張された状態がデフォルトになってさらに拡張される、というプロセスを歩み暴走するようだ。度を越して溢れた場合にのみ表沙汰になる。そうすれば叩かれたりするわけだが、それは当初から組織の空気として内包していた問題ではあるまいか。こうした場合、溢れさせた人間が棒倒しで棒をこかした者として避難の矢を浴びたりするが、それは根本的な問題の解決とはなっていないように感じられる。

 対策として、監査機関が暴走を細やかにチェックするのが理想ではあるが、それが叶わぬ場合、時折自らを振り返り、自分にツッコミを入れるというのが必要ではないか、暫定的であると思うが、私はそう考える。あと長期間同一ポジションに居すわることも避けた方が良い。 
 
*題目から一般的に推定される分類に基づき、便宜的にレッテルを張っていると受け取っていただきたい。

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Comments

>それが組織において行われた場合、小事がどんどんと拡大していく傾向が見受けられる。徐々に拡張され、拡張された状態がデフォルトになってさらに拡張される、というプロセスを歩み暴走するようだ。

全く同感です。もっとも僕はカナーリ、ライトなので「ライト*の方が唱えられる伝統や常識といった言葉のように」という部分にはちょっと考え方が違いますね。でもおっしゃりたいことは非常によくわかります。

Posted by: night_in_tunisia | January 09, 2005 12:19 AM

精緻に理解して頂けて感謝。
考え方の差異はそれ、細かく見ていくと人それぞれの部分がありますし。
心情としては保守的なんですけど、やはりそれなりの説明をしていきたいなと思いまして。

Posted by: Giraud | January 10, 2005 02:45 AM

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