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カリスマというもの

 できれば今後の人生ではもう遭いたくないものだ。

 高校時代。私の居た高校は真言宗系の学校(密教校と呼ぶと何かステキだね)だった為、高野山へ拉致られることがあった。男子校であるのもあって、周りの連中ともども落ち着き無く攫われていくわけだ。バスに乗り込み、大阪市内を出発する。バス内で散々騒いで疲れた頃、御山へ到着。市内より数度低い気温が心地よい。ふとあたりに目をやると、当時の私たちより少し年上の兄ちゃん達がいた。高野山大学の学生だ。昼間だと言うのに手にエロ本を持っているのが微笑ましい。ナカーマ。

 松下幸之助が寄付したという講堂に連れ込まれる。確りした頑丈なつくりだ。税金対策の為に金をかけたのだろうか。そこで何か話しているのを聞かされた筈だが、当然の如く一切覚えていない。そこを出る時に何かお守りを持たされる。結願とか書いてあって、丁寧に折り込まれている。封印をしてあるから、そのまま大事に持っとけ、と言うことか。意図を汲み取った私は即開封。何か梵字が書いてあって読めねー。元に戻し、所持。

 次に寺っぽい建物へ。護摩の臭いに満ちている。周りの連中はいやがるが、寝床のそばに仏壇があった私は気にならず。そして、禿げ坊主の格好をした高校の学園長現れる。このお方、在学時90歳前後。偉い人と言う触込みだったが、一高校生の知ったことではない。宗教法人と学校法人で金溜込んでプレジデントで学校へ登場か、ウハウハだな禿げジジイ。ボディコンの秘書はお前の趣味だろがアン?位のプリティなことを思っていた程度か。あ、月に一度はモーニングエレクチオンがあるとか逝ってたな。家で親父に話すと感心していたが、確かにそれは神だと今になって思う。

 偶々、最先端かぶりつきに位置していた私のすぐ前に立ち、ジジイは話を始めた。

 話に聞き入ってます、私。すごく興味深そうに聞き入ってます。そう気付いたのは途中なんだが、気付いても話を聞き入ることを止められず。よく分からないが、聞かなくてはいけない気分に支配されていた。その状態は話が終わるまで続く。ある種の戦慄と共に聞き入る私。周りの声も聞こえない。何だこれは、あり得ない。

 話が済み、ジジイが立ち去る。すると、だんだんと先ほどの気分が抜けていく。ほっとした気分の中、先ほどの状況を思い出す。不思議なことに、話を全く覚えていない。ただ、聞き従っていたのみ。自分に怖くなった私は、その後ジジイの話を聞くときは最後列に位置することにした。遠ざかると効力が薄れるようだ。

 その後、度々思い出す。あれがカリスマかと。当時聞き入った理由を考えてみる。どうも「声」のようだ。ある種の声は、人を魅入らせるようだな。空海も声が良かったと言う話もあるし。ジジイはそれほどえげつないカリスマ性は無かったせいか、信者になることは無かったが、近くで繰り返しやられるとヤバかったかも知れない。また、あれをパワーアップされたものに出会うと、今でも逆らう自信は無い。話を聞き、ただひれ伏すのみ。それは理屈が通じない世界。

 だからね、そういう輩にはもう二度と遭いたくないのだよ。


おまけ:高校の禿げジジイは大阪では結構な有名人だった模様。まあ進学校(笑)の学校法人で、高野山の大僧正で寺持ち、ライオンズクラブにも関与してたからね。あと松下幸之助と佐治敬三とあと数人の関西財界重鎮が元旦に四天王寺に集まっていたと言う話を聞いたことがある。関西ジジイ円卓会議at四天王寺、って感じだな。笹川一郎の遠縁という話も聞いた。ありがちだな。

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