NHKネタでいろいろ盛り上がってますが
エビちゃんを首にしたら問題が解決する、わけではないよな。
確かに彼は悪役キャラとして(・∀・)イイ、っつうか大河ドラマに使おうぜ。来年だったら平清盛。禿だからヅラいらずでバッチリ。迫力も申し分なし。歴史的な清盛の評価はさておき、エビちゃんのキャラを前に押し出せば、ドラマ的には演技する必要なし。
違った。ああいうふうに既得権にしがみつく気持ちは分からなくもない。規模は全く異なるが私だってそういう要素はある。棚ぼたでゲッツしたmixiのメンバーを手放すのに情けなくも躊躇してしまったように。ましてあそこまで権限を手にしてしまったらそうなるのかもね。手放した後の反動っていうか、権威に頭を下げていた連中がそっぽを向く可能性とか想像するとやだろうな。
だから、オイタをしたら引きずりおろせるようなシステムを用意しておかなくてはいけないということだね。常に慎み深い人がトップに立つなどといったことは薙いだろうし、登っていくと人格が変わっていく人も多いし。
ただ、遠めに見る分には楽しい人(でも近寄ってこないでね)、になりやすい人が存在するようだ。
印象として、叩き上げのっつうか、努力家(努力を全面に打ち出す人)の暴走は厳しい。自分はこれまで頑張って来たんだから、この「程度」の報酬は今後受け取ってしかるべきだ、と思うらしい。ことの大前提が大間違いな訳だが、内面として限定するなら本人の精神的支柱でもあるだけに否定しずらい。そうして見守る中、日々刻々「程度」が拡張されていく。なんとも微笑ましいわけだが、コバンザメがまたそれを煽る煽る。大きく食い散らしてもらわんとおこぼれも少ないしね。そしてさらに「程度」の範囲が増大。人のいうことを聞かない人でも、耳に快い言葉なら耳を傾けるし。
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