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論壇系ブログ及び参加型ジャーナリズムに対する茶々系ブログからの雑感(Voice from Category::Noise)

 おもろいからもっとやり合って繁盛してくれたまえ、と私は思うわけである(偉そうな私)。

 何かといえば、隊長湯川氏の議論、そしてその周辺。思うところを書いてみたい。

 まずはわたしの立ち位置。議論に関するエントリをいくつかあげているように、私は論壇系ブログ(どれだよ)にはとても興味がある。されど私は非論壇系。だって私にそこまでの見識があると思えないし、求められても困るんですもの。威嚇射撃ならできるかも知れないな。勿論、拙ブログのサブタイトルのようにYet Another ...であればいいなあ、とは日々思っている。

 さておき、私は表題に書いたように茶々系だと認識している。イメージとしては、江戸時代の落語などの芸能を、背中を向けて聞いている客が理想形だ。時折見せる的確なツッコミ、されとて舞台には上がる気はなし。はっはっはー。ただ、そのツッコミにしても、様式があるだろうと思うわけで、受ける側を不快にさせる野次では無いように心掛けている。そこらの自分なりのルールをエントリにして公開している、といったところがある。そんな茶々入れをしてくるやつはどいつよ、と思われた時に、おれおれ、俺だ俺、と名乗りつつ、バックグラウンドを参照してもらうことも可能なように。

 その茶々は相手の存在が前提である。相手がいないと光を放てない存在、拙ブログのタイトルにはその意味も入っとります。いや反射できているかどうかは問いつめないように。兎に角、誰もいない壇上へのツッコミなど何の意味が。私の場合、想定している相手は、さしずめ新聞などマスメディアの記事と、それを論説/批判しているHPやブログ。批判しておいて自分が突っ込まれるの禁止はねえだろうよ、との考えに基づき。そこで論壇系ブログ(どれよ)にコミットすることになる。論説中心だからね。

 無論、突っ込まれた相手が反応するかスルーするかどうかはこちらとしては何も言えない。それだけに、反応が返ってきた場合は、それなりに筋道だっていた場合、賛否を問わず素でうれしかったりする。議論ができるのも楽しいのだが、しっかりした論戦が眺められるのも論理展開の勉強になり、私にとってはとても有意義である。だからもっと論壇系ブログは興隆してください。具体的にはむなぐるまさん、やめるなんて言わないで。

 さて、拙ブログの本筋である茶々を入れますか。まずは切込隊長

 ネットが果たすべき機能はある程度明確にされる。語るべき背景やジェンダーを持たない大衆の空気感を示すことである。学識は万能でない以上、その人が持つ興味や専門知識の外にある議論については、有識者も有識でない方面で大衆となりうる。しかし、私たちの社会が直面している問題ははるかに多方面かつ副次的であり、ネットは隣接した領域の有識者たちが問題を構造的に判断していく方法にたいして非常に有効な回答を出すことができるのではないかという期待もある。
 私の場合を言えば、有識でない方面(たくさんありすぎる)を判断するための材料として、非常に重宝している。かと言って、クレクレ厨になるのもあれだし傍目にもつまらないと思われるので、専門及び隣接分野においては、差し障りの無い範囲で情報を提供することにはしているが。あと、直接的では無いのだが、関与した議論/得た知識が種となり、後に育って花開くこともあるので、そうした面も興味深く思っている。インキュベーションの時間があまりに長く、そして回収率も悪いので経済効率的には終わってるけどな。

 まじめに考慮する対象としての論評は、即ち政治的行動に帰結しなければおかしい。論じるだけ論じて、政治的態度の理解促進や支持政党決定にまで踏み込まないというのは、考え方によっては「ためにする議論」に過ぎない。
 これはそうだな、と思い、自分を表明するために現在のんびり考え中。

 そして以下の文章をよんだとき、ああ誠実だな、と感じたわけだが高らかに茶々。

 少なくとも、私の世界で証券マンが自分の名前を名乗って書き綴るブログを信用するのはむつかしい。新聞記者もその他企業の社員でも、その界隈の話題をする場合は愚痴かポジショントークであると判断したほうが正解に近いと考えるだろう。
 普通そう取るでしょ?つーか、私の中では基本がポジショントークになっとりますが。生データ以外、雇われは雇われなり、独り立ちは独り立ちなりにオープン且つ記録の残る場所で言ってよいこと/よくないことがあるはず。同様のことは匿名/署名の場合も言えると思えるので、それらの話を読むときは、よろずバイアスがかかっているものと看做し、その分を想定してさっ引いてブラウズするのがある意味リテラシでは?

 情報提供者によってそのバイアスの多寡は禿しいのがポイントだが、それは暫くそのブログをヲチし続け、Googleや2ch、海外記事等でサーベイすることである程度補正できるので私に取っては別に問題ではないし、ソースをたどりうるならば一次情報である必然性は無い。だから、むなぐるまさんの関連記事にもあるように、

むしろ、今の時代、ある専門家だけが持っているインサイダー情報をいかに手に入れるか、ではなく、現在目の前にあるあふれる情報をどう読み、どう選別するか、のテクニックを現実のことがらを通して伝える、というニーズもあると思う。
との意見に賛成する。ここでは読み物としての面白さ、言い換えるとそのブロガーの見立てを楽しむ面が強くなるが。

(むしろ、ブロガーとして考えた場合、起きている議論を整理して陳列するモデレーターのような機能を持つブログが欠けているのではないかと最近思い始めている。議論の拡散化の傾向もそうだが、何より議論の陳腐化がその議案の重大さとは無関係に進行する傾向が顕著だからである。よく2ちゃんねるをはじめネット議論は「事件のネタ化」批判をされるが、やっぱりそうなのかなと思う)
 また難しい注文をこのお方は。簡単そうに見えるがなかなか厳しいと思うわけです。これは今のブログ時系列中心の仕様を改良することも必要だと思う。svnseedsさんが考えておられるように(私はそこへも茶々をw)。
 この状況で、すぐにでもばら色の未来が来るなどとは私はとても思えない。ただし、読まれるブログを作るという点においては、辛うじて光明が見えるかなぐらいのところである。その意味で、私は意見が違う書き手や、湯川さんのように正面から論じられる書き手を無条件に尊重する。
ここ大賛成。意見の違いは大事だと思う。

 続けて湯川さん

結論を求めて議論しているわけではない
。こちらも過程を楽しんでいますので、オッケーでございます。
 最後にわたしの信念をもう一度述べたい。議論は、そこから自分が学ぶため、また相手の学びを手助けするためにするものである。その目的以外の議論は、単なる時間の無駄だと思う。
 自分が学ぶためと言うのは激しく同意できるわけだが、相手の学びを手助けするため、と言うのは違うんじゃないかと思う。それは相手が判断することであって、こちら側がそこまで言うのは私としては違和感を拭えない。

 一個前の記事にも茶々。

わたしは取材がなければ成り立たない種類のジャーナリズムもあるが、暴力的な権力に対して公明公正な議論で対抗していくことも立派なジャーナリズムだと考えている。大戦前に必要だったのは取材型のジャーナリズムではなく、議論型のジャーナリズムではなかろうか。そういう意味で、ネット上の議論はジャーナリズムの1つの形に成りうると、わたしは思う。

 いずれマスメディアの補正機能ぐらいは備えるようになるといいですね、と後ろ向き加減にコメント。やはりネット人口、ブログ人口を増やさないと厳しいのでは。現時点ではブログ人口的にスルーしても問題無いと看做されていて実際そうなわけだし。具体的にはネット発新聞不買運動が起こり、新聞社が深刻なダメージを受けてしまうとか(笑)。さらに言うと、それが実現したとしても、いくつかのパワーブログが指摘する状態になればおおむね片付くことであって、ネット世論とか参加型ジャーナリズムといったものまで必要としないように思われる。パワーブログのフォロワーが声高に喧伝するのをネット世論と言うのならそうですか、としか言えないが。
 

 えー、最後に隊長に申し送り事項。紙は10枚重ねても雑菌は手に伝わると聞いたことがあります。だからうんこ後には必ず手を洗うように。行為前はお任せで。

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Comments

トラバありがとうございました。湯川です。「相手の学びを手助け」の部分は、こちらの主張を相手が分からないのであれば「分からないお前が悪い」ではなく「分かるような説明をしない自分側にも問題がある」と考えて、分かってもらえるように最大限努力すべきだという意味で言いました。こちらの主張を分かろうとする相手には、できるだけのことをしてあげると、ということです。分かろうとする気のない相手との議論は無駄だと思います。
ということを言いたかったのですが、もっと別のいいかたにした方がいいかもしれませんね。
これからもよろしくお願いします。

Posted by: 湯川 | November 18, 2004 at 07:55 AM

湯川さん、コメントありがとうございます。

おっしゃる意味がわかりました。ただ、それは相手に「こちらの」主張を分かってもらうためですよね?相手の為では無く。それなら、納得できます。

私も議論の意義について考えているのですが、吹っかける側は何か得るところがある、若しくは何か言いたいことがあると思っているから議論するわけだと思います。では吹っかけられた側は何かあるのか、と考えてしまうのです。私は上述の茶々系故に特に。相手にも何かもたらすものがあればいいな、と願ってはいますが。

それに対する自分なりの答え、というわけでは無いですが、少しでもその状況を緩和できる材料にならないかと、買い物交渉をメタファとして、書いたことがあります。
http://giraud.way-nifty.com/lune/2004/11/post_12.html

ご参考までに。

こちらこそ、よろしくお願いします。

Posted by: Giraud | November 18, 2004 at 09:26 AM

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