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お買い物〜私にとっての議論の原点〜

 何の因果かブログにおける議論についてなどと偉そうな題の連載を初めてしまった私であるが、その原点はいたってシンプルななもなのである。

(AM 4:31 文章に少し修正)

 私は大阪に生まれ、四半世紀をそこで過ごしたのだが、幼少期は下町で育ち、ある程度大きくなった頃には多分にもれず日本橋に入り浸っていた。そして限られた小遣いで欲しいものの中から、悩んでこれ、というのを買うこと煮ならざるを得なかった。最近は減ってしまったが、電器屋、特に小さな店では交渉が可能であった。要するに「値切る」ことができた訳だ。また、常連になると、おまけを付けてくれたり、入荷情報を教えてくれることもあった。「馴染み」へのサービスですわな。今だとフリーマーケットがそれに当たるかな。

 この「値切り交渉」と「馴染みへのサービス」を両立させようとすることが、ある時から買い物の際の楽しみの一つになっていた。

 売り手としては、言い値である正札で買ってくれるのが、最も利益が上がる。但し、買い手の資金が尽きると続かない。また阿漕な商売と思われると評判が落ちてしまう。買い手であるこちらは、当然ながら出来る限り安く買いたい。但し足元を見過ぎると次から冷たくあしらわれる。おお、何だか経済学っぽいふいんき(←何故か変換できない)。

 最適な結果(トータルで安くあげる)を出すため、色々と考え、いくつか自分なりのルールをたてた。
1)追いつめない
 仕切値を色々と調査(*)し、そこに利益を少し含ませた値段で決着すれば良し、とした。完膚無きまでに追いつめる交渉は次がありません。何より楽しく無い。
2)強気に出ない
 買い手であっても、関係ない所で相手の気分を害するのは得策ではない。逆に強気な態度の店ではこちらが体よく退出することもしばしばだったが。
3)安いものでは言いなりに、高額商品では確りと交渉
 どうでもいいものにプライドを賭けても何の意味も無いわけで。トータルで安く買えないと。
4)まめに通う
 やはり見知った人間には甘くなりがちで。実際の所は買い手側の資金状況や求めるものの方向性が伺えるからだと今になって思うが。こちらも無形の情報を提供していた訳ですな。

 こうしたものを念頭に置いて、買い物を楽しんできた。私の想定しているブログにおける議論というのも、このようなものであって欲しいと考えている。立場の異なる他者間で最適な結果(合意)を求める為に、念頭に置けば良いんじゃないかと。そこで上記を翻案してみる。
1)意見の全てを通そうとは考えず、譲歩点を想定しておく。それ以上は御の字ということで。
2)偉そうな口調は互いに血圧が上がってしまう。脊髄反射禁止。血の気が多くなった時は、風呂入って寝ろ。
3)言葉の定義等ではなく、言葉尻をあげつらうのは方向がずれてます。最低限通したい部分はどれですか。相手を黙らせるのは目的にあらず。
4)相手の情報は分かる範囲で調べよう。具体的には過去ログを嫁。全てにおいて全く違うことはまず無いので、落ち着いて同じような視点を探そう。同意できる点ははっきりと押えておく方が何かとよろしい気が。喧嘩腰な態度を続けてももたらすものは殆ど無いと思われ。

 深刻な議題であっても、楽しめる余裕のある姿勢が建設的議論に繋がるんじゃないかと思っている。まあ、少しは痛い議論が減ることを願いつつ本エントリを閉じることにする。

*欲しいものを数カ月色々と見て回っていると大体底値の見当、或はバーゲンでの販売価格の目安(プロパー商品だとこれくらい)は付いてくると。

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