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私が好ましく思う人々について

 誰と誰、と指定して迷惑をかけたくないし、違うわボケとかうるせー馬鹿、お前にだけは(ryと云われても困るわけなんでその辺りは御了承を。

 何時の頃からそう考えていたのかは定かではないのだが、話せばわかる、との物言いに激しい抵抗がある。話しても分からない連中は人外認定だから逝って良し、と云うことですか。それを頭から否定する私は凄い勢いで逝かされる側になってしまうんだが、そんな逝き方はしたく無いし。故に私はこのテの表現を吐かれる連中の対極におられる方々に惹かれるわけだ。分かり合えない人が存在し、その場合には話をしない限り、わかりあうことは無い、と云うのなら納得するのだが。

 ではそれは何か。大げさかも知れないが、眼差しのナイーブさ、だと思う。たとえどれほど優秀であったとしても、神ならぬ身としては、自分の見ているものは氷山の一角でしか有り得ないのだが、見たものが全てだ等と思いこむこと無く氷山の一角である可能性を想定し、考慮して行動していること。たとえ果ての無い行為であると知りつつも、絶望すること無く、全貌を伺おうと前へ進み続けること。無論時折挫けることがあるのだろうが。海外在住経験者にそう感じとれる方が多いのは気のせいですか。

 書きながら、父の言葉を思い出した。

これでいい、と思ったらそこで人間は止まるんや
と。色々と御免よパパン。

 そのナイーブさをコアにして醸される雰囲気と云うものがある。言動の他者に対する謙虚さ、とでも言っておけば良いのかな。主張に関しては当然譲れないし、譲る必要もないのでそれは別として。それに接した時、私は快い空気に包まれる。河原に並んで座り、同じ方向を見て似たようなことを考えているような、そんな風合いの。

 謙虚さからほど遠い私では全くの幻想に過ぎないのかも知れないけれど。

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Comments

海外での生活を経験すると、衝撃的なほどに考え方の違う人達に遭遇するからでしょうか。僕もそう感じますね。

友達と話していても、あまりに偏狭で「お前、一回外国で暮らしてみろ」って思うことがありますよ。で、その後その友達が外国へ旅行したら「外国ではこうだ」とか言い出して、外国全肯定の全くの逆効果。旅行だといいところしか目に留まらないから仕方がないけど、少なくともその部分に気づいて割り引いて考えて欲しいと思いました。

Posted by: night_in_tunisia | November 12, 2004 at 11:04 AM

ホントにねえ(笑)。

もう少し想像力を発揮して欲しいと云うか、何故それでそう決めつける、と云うのがよいのか。もう少し突っ込んで考えて欲しいな、と思うことが良くあります。

Posted by: Giraud | November 12, 2004 at 01:31 PM

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