禿と頭の良さの相関について
この、誰もの頭に浮かんだり浮かばなかったりする問題に付いて真剣に考えてみた。
巷間に流布する文言に、デコが広いと頭がいい、というのがある。猫額の私は目にする度に泣き崩れるのだが、此れは禿が頭がいい、を変換したものではないかと考えた。というのも、普段の会話で、
頭いいですね
と尊敬を込めて言うと喜ばれたりするが、
禿げてますね
といった場合、たとえ尊敬を最大限込めていても喜ばれることはまず無い。気持ちが伝わらないのは不可解なことであり悲しいことだ。言葉を置き換えることでやり過ごす日本人の気質が禿→額の変換をさせたのではないか。そう仮説をたてたのだが、残念ながら、調べた限りでは変遷に付いての確たる証拠は得られなかった。
仕方が無いので現実の禿に当たって見ることにする。まずこの問題を考える契機を示してくれたこの御方、本人はフサフサと言っているのでそうしておくが写真をみて判別して頂きたい。ちなみにIQ190という数値だけで無くその頭脳には定評がある。そして知人、30代半ばの大学助教授。20代後半から進化され、最近は坊主頭で好感度120%UP(当社比)し、半ズボンで疾走するナイスガイだ。頼むから少しは落ち着いてくれ。そして私の祖父及び祖父の祖父。いずれも私が産まれる前にこの世を去っており、写真及び肖像画でのみ知ることができるのだが、立派過ぎる禿だ。身びいき?うるせー。また明智光秀も禿だったと云う。そして今年ノーベル物理学賞を受賞された御三方。闇夜すら昼間に変えかねない眩しさだ。これらの方々は、個人差こそあれ、頭の良さについては疑う余地が少ない。
また、グーグルで精査したところ、何で化学の先生ってハゲが多いの?、桂歌丸氏のインタビュー、等の情報が得られた。先生、噺家という頭脳職、やはり禿は頭が良いということなのか。
以上のことをふまえて、現時点での暫定的結論。
禿と頭のよさに何らかの強い相関のある可能性が示唆されている。
今後、この可能性を更に解析し、これに関わるいくつかの要素も考慮した上で、改めて報告をしたいと考えている。
余談ながら、このサイトで語られる愛の形に私は目頭が熱くなった。
「はげても彼を好きです。」皆、瞠目して読むべし。
「おでこにキスしやすくなって私は好き!」
「この頭も全部好きなのよ」
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