自然保護 vs 動物愛護
私は自然保護が動物愛護に優先すると考えている。
読売の記事によると、沖縄の飛べない鶏、
ヤンバルクイナが1000羽を割ったらしい。このままでは絶滅してしまう可能性が大なので、原因の一つである、野生化したネコを取り締まるらしい(他の理由は、これまた野生化したマングースによる補色、自然林の減少、交通事故等があげられている)。
以前メモの方に書いたが、種を維持していくのに最低限必要な個体数は50とされているので、近い将来にそこを割りこむ可能性が大なのだろう。原因とされている野生ネコの数も実際かなり居るらしく、
沖縄本島北部の「やんばるの森」では、ネコのふんからヤンバルクイナの羽根が相次いで見つかっている。飛べないので、エサとして狙うらしい。県の2000—2003年度の対策事業では、やんばるの森を中心に、野ネコ約1100匹がわなにかかった。
と、あるから既に、
捕食者であるネコ > 被食者であるヤンバルクイナ
となっているのかもしれない。状況はかなり危機的だ。
さておき、こうして捕らえられたネコは誰か篤志家の元へ引き取られる、ということはまず無く、大半が処分される。動物愛護の視点からすれば発狂ものかも知れないが、やむを得ないものだろう。勿論安楽死をとるのが良いと思われるが、そこはコストとの兼ね合いになってしまう。炭酸ガスを用いているようだが。
このヤンバルクイナを何故保護しなければならないか。特別天然記念物だから、あるいは可愛いからというのは頂けない。天然記念物で無いもの、可愛く無いものはどうでもいい、ということになるからだ。どの命も尊いとか、世迷い言をいって弄するのも無駄に疲れるので止めて欲しい。そう言うなら植物にも命はあるはずだから考慮してやってくれ。余談だが、日本の動物愛護運動の多くは可愛いもの保護運動の様相を感じてしまうことが多いのは気のせいか。
重要なのは、生息地の自然環境を構成しているメンバーであるということ、そしてユニークな遺伝資源であるということだ。これはヤンバルクイナのみならず、絶滅に瀕する生物全般にいえる話だが。生息地の生物を個別に保護するとなると、尋常ではないコストがかかる。人工的に繁殖させることなど一部の生物でしかできっこない。故に構成メンバーの総体である生息地の環境を維持するのが最もましな選択肢となる。また、遺伝資源としての話だが、これは無くしてしまうと再現は不可能だ。以前のエントリで触れたFrozen Ark Projectにしても、次善の策に過ぎない。やはりリソースを確実に維持していくには個体、それも50個体以上の必要がある。その数を割り、2、30個体になった時は、むしろ速やかに凍結していく方が良いように思える。
トキの場合の様に、あらぬ方向に向かった泥縄な対策を立てるようなことは止めて頂きたい、と思う次第である。
同日追記:世界的にカエルやサンショウウオやイモリなど(not include ヤモリ)の両生類がヤバいらしい......
こちらについてはメモに少し補足しておいた。
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Comments
はじめまして。
giraudさんの論点ほど明確ではないのですが、雑文をあげたのでTBさせてもらいます。
Posted by: やんばる原人 | October 21, 2004 06:38 PM